【1月の教会長メッセージ】

あけましておめでとうございます。教団創立八十周年の年の元旦を迎えました。朝日も清々しくいつもと違って見えませんか?それは、新たな年と心が気持ちをつくっているからこそ、感じられるのです。

 

昨年1月の会長法話では「地道に、淡々と」とご指導を頂き、やるべきことをコツコツと実践された一年だったと思います。今年1月の会長法話では、【明るく、朗らかに】とご指導頂いております。前向きにものごとを受け止めることが明るくなることで、朗らかに通じて、にじみ出てくる人柄になるのではないでしょうか。

「私たち会員の信仰方針」でも、確たる「志」をもつことをご指導き、私たちは「私の〝発″」を決め、どのようにこの一年を歩みだすのかが大事になります。太陽のように、まずは自ら明るく朗らかになって、人を和ませ、喜ばせることが大切です。自灯明は「自らを灯りとして生きる」ということですが、それは「何にも左右されない確固たる生き方の芯がある」ということです。「芯」となるのは、自分を含むすべての人が、かけがえのない命を、いま・ここに・自ら生きているという揺るぎない「信念」で、いま命あることへの「感謝」が、芯を明るく灯しつづけるのに必要な「油」といえるのではないでしょうか。と会長先生はおっしゃいます。

 

命あることが当たり前のように感じてしまいますが、生かされている自分を見つめると、感謝に気づけ明るくなれるのです。「足無し禅師」と呼ばれた小沢道雄師(シベリアで両足に凍傷を負って、両膝から下を切断された方)は、「人と比べるから苦しむのだ」 比べる心のもとは27年前に生まれた自分。両足を切断したまま、今日生まれたことにしよう。「本日ただいま誕生だ!」と感謝して、仏道人生を歩まれました。越えられない人生はないといいますが、これはすごいことです。

 

何を心の芯に据えるかが大事で、仏教徒にとっては、仏法(ご法)であることを示され、これは法を灯として生きる(法灯明)でありましょう。ほんとうの明るさ、朗らかさは、苦脳を突き抜けた先にある、苦悩を突破するには「生き方の芯」とともに、心を一つに向かわせる「志」をもつことが大切。新年に当り、一人ひとりが「自らを新たにする」という清新な心意気をもって、明るく朗らかに一年をすごしていきましょう。  合掌