奉献1

あの日、寝たきりの母と同居していた私は突然の大きな揺れに身動きも出来ず、ただただ震えていました。揺れが収まってやっと落ち着きを取り戻してから暗い家の中を見回すと、重い冷蔵庫が20センチも移動していましたが倒れることなく、食器類も無事でした。余震が続く中、テレビで震災の惨状を見るたびに身震いを覚え、無事であったことに感謝せずには居られませんでした。

その頃の私は購読会員で、神戸教会に参拝したこともありませんでした。被災された会員さんのお話や、お互いに助け合った話などを聞かせてもらった時に、我が家の事だけしか考えられなかった自分を恥ずかしく思いました。困っている時こそ自分のために「人が何をしてくれるか」でなく、人のために「自分が何をしてあげられるか」を考えることを学びました。

19年が過ぎ去った今年「阪神・淡路大震災犠牲者慰霊法要」の奉献にお役を頂き、何故かろうそくの明かりをじっと見つめていると、亡くなられた方々、被災された方々の事が想われ、大震災という出来事をいつまでも忘れずに語り継いでいかなければならないとつくづく思いました。

当たり前の日常に感謝しながら、仏さまが何を教えて下さっているのかを考え、今後とも人さまのためにこの身を使わせて頂きます。 -合掌-  ≪Y・N≫

奉献2