小・中学校が夏休みに入りました。あっという間の1学期でしたが、無事に終えられたことにほっとしています。

我が家の子どもたちは、毎日、登校前と下校後にご宝前(仏壇)に手を合わせて、「行ってまいります」「帰ってまいりました」とごあいさつをします。前・教会長さんとのお約束で、数年間続けています。はじめの頃は、「なくした物が見つかりますように!」「○○がうまくいきますように!」など、自分の望みをかなえるための子どもらしい祈りだったと思います。

7月に入ったばかりのある日、中2の娘が、「下校のときに、男子の集団にからかわれるのが辛い。辛い気持ちになったときに、どうやって気分転換をすればいいか教えてほしい。」と私に尋ねてきました。

娘の言う「気分転換」とは、相手をどうにかするのではなく、自分自身の心に働きかけて解決することです。私は、法華経で教わる「すべて自分」という因縁果報の考え方がいつの間にか娘にも身に付いているのではないかと、娘の成長を感じました。しかし、数年間、同じ生徒から繰り返しからかわれることでストレスが限界に達し、夏休みを目前にして「もう無理!がんばれない!」と泣き出してしまいました。

娘は発達障害児で、公立中学校の支援教室に所属しています。感覚過敏の娘は周囲からは変わった子と思われることがよくあるようで、困難の多い学校生活を送っており、小学校の頃から友人とのトラブルを何度も経験してきました。先生に相談しながら、親が仲介に入らざるを得ない場面も多く、相手方のご両親が激怒して家に怒鳴り込んできたこともありました。娘からは「今日は○○さんにこんなことを言われて悲しかった」などの報告を頻繁に聞くのが日常でした。

さて。今回はどうしようかな。私は、下校時に途中まで迎えに行き、もし男子生徒に出くわしたら、娘を見かけてもからかわないで、そっとしておいてもらいたいと直接お願いしてみようと思い、その旨を担任の先生に伝えました。幸い、私が動くより先に、担任の先生方が迅速に対応してくださって、すぐに収まったばかりでなく、下校時には途中まで娘に同行していただくという手厚さでした。娘の先生に対する信頼度もさらにアップして、「こんなによくしてくれる先生に出会えるなんて、私は本当にラッキーだ!」とうれしそうでした。

祈る・拝むという行為は、自分勝手な願望をかなえるためではなく、苦しいこと・悲しいことがあっても大丈夫(あって当たり前)、助けてくれる人が現れたら感謝することを身をもって体験したように感じました。また、私自身も、何かあるたびに怒りの気持ちがわいてきたり、何度も起こるトラブルに辟易することも度々ですが、今後も繰り返されるであろうトラブルの中で、娘と一緒に成長できることを楽しみながら過ごしていきたいなと改めて感じました。

今回の学校トラブルのように、コロナ禍も一日も早く収束するよう願いつつ、例年より短い夏休みを有意義に過ごしたいと思います。

合 掌