教会長さん1【4月の教会長メッセージ】
3月は、いのちをみつめ魂を浄める月でした。学校では卒業式などが行われ、一段ステップアップをして、つぼみから花開く4月に入りました。入学式やお釈迦さまの誕生日「降誕会」・神戸教会発足記念日のお祝いもあって、桜の花開く季節、明るく心も開けてきます。


今月は、【あなたも私もみな仏】衆生と仏は一つとご指導頂きました。この時期は、一般的に「良い子になりますように」、「目標が達成できますように」などと願う方もおられると思いますが、私たち信仰者は「仏さまのようになれるよう精進いたします」と誓いを新たにいたします。そのとき、「仏さまは遠い存在で、なかなか難しい」と感じてしまうことがあります。しかし、会長先生は、白隠禅師の「衆生本来仏なり、水と氷の如くにて 水を離れて氷なく 衆生の外(ほか)に仏なし」の言葉から、衆生と仏は本質において一つであると教えて下さいました。「笑顔で人とあいさつを交わすと心が和んだり、人の苦悩を知れば胸が痛み、人の喜ぶ顔を見ると嬉しくなる」これは自分の中の仏が喜ぶからです。その仏を見出だす精進のあり方をわかりやすく説いて頂きました。

仏とは、自分が仏であると気づいた人のことで、それは自らの尊さに気づくこと、真(まこと)の自分を知る、ということでもあります。しかし、釈尊の「妄想と執着があるためにそれがわからない」とらわれの心があると真の自分に気づけないというのです。

そこで、昔の禅僧は自分に「おい主人公」と呼びかけ、自ら「はい」と答えて、問答を交わし、自分と仏が一つであることを忘れない工夫をしていたそうです。会長先生自ら実践して、楽しみながら私たちが自覚するよう促して下さいました。また、「仏種は縁に従って起る」と、「サンガ(同心の仲間)との法座などであたたかな助言を受け、自分にはないやさしさや明るさにふれたとき、自分もまたあたたかな気持ちになるのも仏性が感応するから。」と会長先生。仏が仏に法を説き、お互いに求道している姿です。ふれた縁を通して自分の心が見えるのです。仏の身として自分を磨き、高めていくことが大事だと感じます。「生仏一如」と気づくことを私たちの一生のテーマにして、精進して参りましょう。   合掌