コロナ禍で教会参拝がなくなってからはや1年。空いた時間は自転車や徒歩で地区に機関紙を届けたり、家の片付けや食事の支度にいつもより少し手間をかけたりしている。周りの友人は、と言うと子どもが小学生になった頃から働きに出たり家で仕事をしたりしている。

結婚が遅かった私達夫婦は、まだまだこれから子どもの学費がかかるところへ主人の定年が近づくので、私が働かずにこんなことをしていていいものかという思いがふと頭をもたげる時がある。その上、「無給でしていることなのに‥」と地区の方とのやりとりに心波立ちやるせない気持ちになることもあり、そんな自分が嫌になる。

しかし、仏教の智慧を伝えてくれる支部長さんや他の信仰をしてる方が地域の為に骨折っている姿を見る度に私ももう少し頑張ろう!と思えたり、仕事の傍ら地域の役をしている主人の様子や届け物に行った先での相手の笑顔から元気を分けてもらっている自分に気付いたりする。

今は現実に収入はなくても『宇宙貯金』をしていると考えて、心の葛藤をなだめながら目の前のことを1つずつ片付けて行こうか‥と思っている。(Tさん 50歳)