【4月の教会長メッセージ】

3月は、春の彼岸会が地区で行われて3年目となり定着し、まごころいっぱいで、いのちを頂いたおおもとへの感謝をご先祖さまにさせて頂きました。そして、4月は、降誕会、教会発足67周年記念があり、学校では進級、進学を迎えます。いのちを感じる草花も色とりどりになり、心もワクワクする季節となりました。四季があるから、けじめがつけられ、自然から感性が磨かれます。毎月のご法話の実践の積み重ねが、年頭法話につながっていきます。

今月の会長法話は、【時間の浪費】大調和のなかで生かされていることの不思議を観じながら、ものごとを受け止めるご指導を頂きました。私たちは、たとえば一日中寝転んで無為に過ごすことを時間のむだ遣いといったりしますが、わずかな時間も惜しんで、何かに打ち込むのが有意義な時間の過ごし方で「毎日を最後の一日と思って生きなさい」とは古代ローマのセネカの言葉。こうした心がけで日々を送ることが大事と昔から言われています。ただ、時間の浪費ということを天地自然に照らして考えると、時間そのものに縛られない、もっとゆったりとした大らかな視点がありそうです。宇宙的な大きな目で見ると、自分の狭い考えで「あの時間はむだ」とか「浪費だ」とはいえない気がします。何もせずに寝転んでいる姿は、怠けているようにしか見えないかもしれませんが、仏法の本質からすれば、人も物もすべての現象も、どれ一つとして、むだなものはない。と見えてきます。人を傷つけるような言葉や態度、自分さえよければいいといった身勝手な行ないは、何よりもむだな時間の使い方と会長先生はおっしゃいます。人を裁くような見方、生き方をすることこそが「命のむだ遣い」ではないでしょうか。

絶妙な天地のバランスでこの世が成り立っている不思議を観じたならば、調和を築く者として、お互いを尊重し、仲よく生きていきましょう。
今を精一杯生きていく大事を知るということでは、金子みすゞさんの「鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい。」の詩から、それぞれの特色の中に生きている素晴らしさを見ていく観点として、しっかりと自然から味わってゆきたいものです。 合掌