( 「語り部」 Y さんをお迎えして )

長崎228日「感謝の参拝日」に、皆さんとやくしん・習学ノ―ト(戦争犠牲者慰霊・平和祈願の日)を拝読して研修しました。
その後、会員の「語り部」Yさんからお話をして頂きました。

語り部さん
Yさんは、70年前の8月9日高等女学校4年生(15歳)の時 長崎の爆心地の約1キロの地点で被爆されました。そこで生き残られた5人のうちの
1人だそうです。家族(両親、祖母、兄2人)を地獄絵を見るような 想像を絶する光景の中 捜し回り全員の死を覚悟して 放心状態で防空壕に戻って来た時 5歳上のお兄さんが Yさんを捜しに来られ再会できたのでした。長崎1お兄さんは長崎にいたら危ないのでと 1週間かけて岡山の親戚までYさんを送り届けて 力尽きてその日に
亡くなったとのことです。
一人きりになってしまったYさん、涙を浮かべながら話しされるのを見て 私達も涙が溢れてきました。そしてYさんがどのような心で乗り越え生きてこられたのかが 全員の疑問となりました。つらい思いをするたびにYさんは、「この子だけは生かしてくれ」との亡き家族の愛情や願いの中で 生かされたのだと受け止め、家族の命の分も頑張って生きて行こうと自分にいいきかせて来られたそうです。
勉強会85歳の今日まで 死や放射能に対する恐怖心と戦いながら 「語り部」として戦争の悲惨さ、恐怖、命の大切さを伝えて来られました。毎年終戦記念日を迎えるにあたり「家族5人分の人生を背負い生き切れたか・・・・」自分に問いかけているそうです。今日Yさんのご縁を頂き、生かされている今の命に心から感謝させて頂きました。参加した全員が子供や孫達に戦争反対を伝えていく事、そして心新たに菩薩道を歩んでいく事をお誓い致しました。合掌 (支部教務員)
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