新年好(明けましておめでとうございます)! 
Selamat siang, Sekalian(皆さんこんにちわ)!!

中国に来て早いもので2年が経とうとしております。
小生が住んでいる広東省は沖縄よりも南ですので
常夏というイメージを持っている方も多いと思いますが、
今の時期は結構寒くクリスマス前に少し風邪をひきました。
また正月は基本的に仕事でしたので日本に帰国できませんでしたが、
2月の旧正月は1週間ほど休みがありますので、
帰国して皆様の顔を覗きに行かせて頂きます。

今回は少し前になりますが昨年10月の日本で言う建国記念日に当たる
国慶節休みを利用して、またちょうど以前の会社の上司がインドネシアに
赴任しておりましたので、小生自身の今後の相談と情報交換も兼ねて
国慶節で混雑する中国を避けて香港から飛行機で5時間ほどかけて
インドネシアの首都ジャカルタに行ってみましたので、
今回は中国を飛び越えてジャカルタを紹介したいと思います。

ジャカルタは1619年にインドネシアでの香辛料貿易の拠点として
オランダによってバタビアという名前で建設されました。
その後、インドネシアが1949年に独立するまでの300年以上の長きに
渡りオランダの支配を受けておりました。ただ、日本とも縁があり、
江戸時代にジャカルタからオランダ船によって伝えられたじゃがいもを初め、
鎖国令により日本から数多くの人々が追放された悲しい過去もあります
(特に望郷の思いのじゃがたら文を書いたじゃがたらお春が有名)。
現在はインドネシアの首都として政治・経済の中心として世界でも有数の
大都会として発展を続けておりますが、オランダ統治時代の街並みも
数多く残っており、今もその多くが現役で使われております。

20150124_西宮南支部1
かつてバタビアの中心地、コタ地区です。この地区は再開発があまり行なわれておらず、現在でも多くが現役で使われております。美しい町並みで小生は暇を見つけてはこの辺りを散策し古きバタビアにタイムスリップしました。この近くにジャカルタの中心駅、ジャカルタコタ駅があります。

20150124_西宮南支部2
かつてのバタビア市庁舎で、オランダのインドネシア統治の中心地でした。また、留置所や裁判所としての機能も兼ねており多数の政治犯が拷問・収容されておりました。築200年以上も経つ非常に趣がありますが、多くの悲しい過去が生み出された舞台でもあったんですね。

20150124_西宮南支部3
ジャカルタ有数の繁華街、ブロックMです。この辺りはカルフールなどのショッピングモールもありますが、日本人スーパーや日本食、日本書を扱う店が多く、日本にいると錯覚してしまうほどでした。

20150124_西宮南支部4
インドネシアはイスラム教徒が世界で一番多い国ですので、この写真のようにモスクが街の至る所に多く点在しております。特に礼拝の時間になると独特の音楽が鳴ったりして荘厳な印象を強く受けました。

ブログサイズの関係上、あまり写真を掲載できませんでしたが、
ジャカルタには日本製の鉄道の車両や自動車が非常に多く、
また日本人の小生に対しても非常に親切に対応してくれる人々が多く
親日的な印象を受け非常に嬉しく思いました。
また前述の通りイスラム教徒が非常に多いですが、キリスト教、仏教、
ヒンズー教の教会や寺院もあり、異なった宗教が共存共栄している事に
関しても非常に感銘を受けました。
ただ、オランダが残した美しい遺産を守りながら発展を続ける裏には、
前述のじゃがたらお春やオランダ統治時代の悲しい過去も決して
忘れてはならない、そう感じさせて頂きました。

今後も、新たな発見をご紹介させて頂ければと思っておりますので、
宜しくお願い致します。

Terima kasih!!(有難うございます)
謝謝!下次再見(またお会いしましょう)!

                                合掌   H.U.