芦屋  説法9月20日(日)秋季彼岸会式典で壮年部Sさんが説法しました。その内容を紹介します。

【A君は入社2年目やる気がまったく感じられず、一年目と同じレベルの仕事しか出来ないためもう面倒をみることができませんと相談を受けたのは2人目でした。このため私が直接A君の仕事を管理することになり、何とか成長させたいと考えました。

そんな時、教会長さんの支部夜間法座が開かれました。教会長さんは「合掌して下から拝み、下に立たないと理解出来ない・長所が見られないものです。」とアンダースタンドの考え方を教えて下さいました。私は「どのようにすればA君の長所を見つめられるのでしょうか。」と質問しました。教会長さんは「仏性をみいだすことに王道はありません。しかし、ただ一点の明かりをみつける、その一点の明かりを讃嘆するしかないのです。その一点の明かりを見つける努力をして見て下さい」とご指導下さいました。

週明けの日ご指導とは逆にAくんの態度に私は広いフロアに響き渡らんばかりの大声をあげ大爆発してしまいました。一点の明かりを見つける思いは消え去ってしまいました。
その後、法華教研修の講師のお役の研鑽の時がA君の仏性をみつける修行の再開でした。
正に一点だけありました。A君はかかってきた電話を取るのが誰よりも速かったのです。「A君、電話取るの速いなあ」とその一点をほめました。電話が鳴る度、仕事が止められ効率が悪くなるにもかかわらず忠実に続けていたのです。

A君の一点の明かりを讃嘆後、少しずつ変化が出てきました。研修の日ご本仏さまの前でご供養していた時A君の姿が目に浮かびました。自然と涙があふれて止まりませんでした。「信解品」にある窮子が行う20年もの便器掃除の修行がA君の健気に行う電話をとる姿と重なるのでした。

私は仏性をみつけ仏性を自覚させる事から始めなければならないにもかかわらず、悟らしめ入らしめる事や自覚させることばかり行ってきました。学ばせて頂く法門もご法の中だけでなく、会社組織の中でも当てはまる事を分からせてもらいました。

10月に会社の組織変更があり、A君とは離れることになりました。社会に貢献する事を意識して大きな仕事が出来るようになってほしいと願っております。

私が20歳の時に母が又、父は27歳の時他界しました。今年は母の27回忌です。両親亡き後、この教えを依りどころとして生きてまいりました。たくさんの方々に法華経の縁にふれて頂けるよう精進させて頂きます。】と説法されました。

会社でもこの教えが当てはまること・相手の仏性をみつめる前に高いところから見てしまったこと・両親から命をつないでもらったおかげさまなどを思わせて頂きました。