9月爽やかな秋晴れの日 尼崎明社<明るい社会づくり運動尼崎推進協議会>の企画で、あましん「尼崎城資料館」と”寺町”を散策しました。
永い事 尼崎に住んでいますが 案内ボランティアの方の説明に・・・知らない事ばかりでした。

大阪城(徳川)を西国から守る要塞とされた尼崎城(現在の阪神電車.尼崎駅すぐ南にあって、三重の水堀に囲まれ海に面しており、水に浮かぶ城と言われた)は 江戸初期に築城され、代々7家の城主に守られてきましたが、廃藩置県の際取り壊しを命じられて今は天守の石垣(復元)だけが残っています。

その城下には、宗派の違う11のお寺を一か所に集められ”寺町”として守られています。ここは京都? とまちがえそうな石畳のきれいな所もありました。

尼崎北 寺町巡り-案内尼崎北 寺町巡り-あましん歴史館尼崎北 寺町巡り-お寺①尼崎北 寺町巡り-お寺②尼崎北 寺町巡り-お寺③集合

□ 本能寺の変で引き返す秀吉が明智の兵に追われ寺に逃げ込み、頭を坊主にしてすり鉢をすって助かったとされる 廣徳寺(こうとくじ) には秀吉のすり鉢とすりこぎが今でも残っているそうです。
□ NHKの大河ドラマでも紹介された、秀吉に切腹を命ぜられた 佐々成政 のお墓は法園寺(ほうえんじ)に祀られています。
□ 又、遊女の悲しい運命を弔ったお寺もあります。・・・如来院(にょらいいん)~尼崎北部の神崎に古来水上交通の要所があった所から移る

一昔前は 空気が汚い~(今はとてもきれい)
がさつなオバチャン~(あったかいんだから) などイメージがあまりよくなかったけど深い歴史にふれてみてわが街の見方が変わったように思います。 とても有意義な一日でした。
                           合掌(O通信)

***尼崎の電話 何故06なの***
尼崎の市外局番は兵庫県なのに大阪と同じ“06”です 何故?と思っていましたが
判かりました!!

『明治時代から産業が栄え、本社や取引先の多くが大阪にあって連絡を取るのに 市外では大変な手間と費用がかかるため 1954年に市や商工会議所が電電公社(現NTT)に大阪にいれてくれ~と陳情し、その替わり2億円あまりの債権を引き受け(工事費を地元が負担する条件で)市外局番が“06”になったそうです。』・・・「朝日新聞 9/12付コラムより」

 これより8年後には、全国に現在の市外局番が割り当てになったそうです。