導き

「いのち」を輝かせる
私たちの心のなかには、自己中心の欲望もあれば「世のため人のために尽くしたい」「人を幸せにしたい」という願いもあります。それは、一人ひとりが「すべての人を仏の道に導き入れたい」という仏さまと同じ願いをもっているからです。
たとえば、電車やバスなどで自分の席を譲って、相手が喜んでくれたときはうれしいものです。ましてや、仏さまの教え(真理・法)を伝えることによって、その人自身が幸せになったら、これにまさる喜びはありません。

立正佼成会には「入会者即布教者」という言葉があり、入会して間もない人も、お導きに歩きます。お導きとは、人々に仏さまの教えを伝え、真理に随順した生き方をしていただくことです。
仏さまの教えにふれ、幸せになれた喜びや感動を多くの人にお伝えしたい、と心から願い、精いっぱいの真心を込めて話をさせていただく、お導きとは「相手の幸せ」を心から願い、共に幸せになる道です。それは同時に、あなた自身の「いのち」を輝かせることになるでしょう。

手どり

「かかわり」を大切にする
人間という字は、「人の間」と書くように、私たちは人間関係、人とのかかわりから離れたところで生きていくことはできません。私たちが教えを身につけ、自分も他人も幸せになるためには、相手を思いやる「手どり」修行が大切です。

「手どり」とは、教えを生活にいかし、喜びある生き方ができるように人に働きかけることです。生きている以上、苦しみや悲しみがなくなるということはありませんが、信仰によって何事も前向きに受けとめ、今、生きていることへの感謝を人さまに伝えることができたら最高に素晴らしい人生ではないでしょうか。
相手と一緒に喜んだり、悲しんだり、悩んだりしながら、「幸せになってほしい」と願う。そんなやさしい心(慈悲心)のなかに仏さまは生きつづけます。

佼成会の仲間をつないでいるものは、温かい心や思いやりの心です。人との出会いを積極的につくり、どんなに小さなことでも相手の願いや長所を発見する努力をしていくと、仏さまのはたらきがありありと実感でき、教えの素晴らしさが心にしみ込んでくるのです。

法座

「本当の自分」を発見する
立正佼成会の「法座」は、多くの信仰の仲間が集まって、お互いが学び合い、共感し、磨き合い、向上し合う・・・。文字通り、法にもとづく出会いの場です。
具体的には、法座主といわれる人を中心にして、参集者が車座になり、日常生活の悩みを仏さまの教えに照らし合わせて解決の道を学んだり、人生の問題についての語り合いがなされます。

迷い、苦しみ、悲しみ、嫉妬、怒り・・・。私たちは、日々、さまざまな感情に左右され、ともすれば自分を見失いがちになります。法座で、自分の正直な思いを語り、問題を仏法に照らし合わせることによって最善の解決策を見つけることができます。また、他の人が語る話も、自己を振り返りながら聞かせていただくと、必ず新たな気づきが得られます。

仏教を生活に生かし、誰もが幸せになる道を示すのが立正佼成会の法座です。問題の解決とともに、自分の生きがい、希望、可能性までも発見できます。