支部壮年部員 U.さんよりメッセージです。
ブログ開設10周年記念(8月)にあわせて、
中国より投稿してくださいました。

大家、好久不見了(皆さん、お久しぶりです)!
昨年に2年ぶりに日本に帰国したと思いきや、今年の3月に仕事で中国に
舞い戻ってしまい早4ヶ月が経とうとしています。
まだまだ足元を固められた状態ではありませんが、逆にチャンスと思って
頑張らせて頂きます。
また、支部の方でも青年部から壮年部に変わり新たなスタートを切って
いかせて頂きます。

現在は香港にほど近い広東省の恵州と言う所に住んでいますが、滞在時間の
半分以上は香港や広州をはじめ中国各地にいるという日々を送っております。
恵州は広州と深圳の東隣にある街(と言ってもバスでそれぞれ約2時間かかります)に
あり比較的静かな街です。この街には客家(ハッカ)という漢民族の一派が数多く
住んでいます。客家は中国北部から三国志や水滸伝などの時代に戦乱をさけて
華南などに移住してきた人々の子孫で土着の人々から見たら「よそ者」という意味の
この名前がつきました。
当然、土着の人々との争いは多く数多くの尊い生命が失われた悲しい過去があります。
私の会社にも客家の人々は多く在籍しています。

西宮南20130719_1
恵州市内です。この近くに玄関口であるバスターミナルがあります。鉄道の駅もありますが、市内から離れている事と北京や上海など長距離専門ですので、ほとんどの人が移動にバスを利用しています。

西宮南20130719_2
恵州の中心地にある天然湖、西湖です。
杭州の西湖に似ているでしょう?結構癒される湖で
恵州市内からも気軽に行ける距離にあります。

西宮南20130719_3
客家料理です。労働での発汗による塩分補給や
体力維持のためか濃い味付けになっていますが、
あまり辛くないので非常に食べやすいです。
私は何度もお世話になっています。

西宮南20130719_4
客家の多くは土楼という要塞のような住居で一族が
互いにルールを守り助け合って生活していました。
常に土着の人々から守る為の知恵と言えましょう。
ちなみにミサイルサイロにも似ている為、冷戦時代に
アメリカが過剰警戒したとか(※この写真は友人から借用しました)。

客家の住居は現在も主に福建省に数多く残っており、現在も多くが住居として
使われているとの事ですが、恵州にはこのような住居は見当たりません。
これは前述の悲しい過去を乗り越えて土着の人々と早い段階に共存共栄を
始めたという証と言えるのでないでしょうか。あと、私の会社の客家の人々に
感じた事でもありますが、教育熱心で、時間やルールに厳しい日本人に通じる部分が
多いという印象を受けました。私もここでは21世紀の「客家」になるでしょうけど、
恵州の客家の人々に倣って地元や会社の人と共存共栄できる平和な
「客家」を目指して行きたいと
考えております。

今後も、中国での新たな発見をご紹介させて頂ければと思っておりますので、
宜しくお願い致します。
謝謝!下次再見(またお会いしましょう)!

                          合掌   H.U. In 広東省恵州