2017.03 40代 女性 「大丈夫か」

三姉妹の次女として生んで頂き、信仰4代目です。幼い頃、右耳が聞こえない事がわかり、両親は心配して色々試してくれました。先生が親に「反応が鈍く、ぼーとしていることがあります」と言っているのが聞こえ、そう思われているのかと不安に思ったことを覚えています。社会人になってからも聞こえない事で行動に不安がありましたが、主人と出会い、耳の事も「みんな色々あるから」と言ってくれて楽になりました。

22歳で結婚し「これを出窓に置いとき、助けてくれるから」と渡されたのが総戒名でした。私も特に何も思わず、今思えば上手いこと渡されたなと思いました。主人の帰宅はいつも夜12時、知り合いのいない私は妊娠がわかってからも孤独でした。切迫流産をしかけ入院。父は普段こんなことをしないのですが「大丈夫か」と電話で一言。涙が溢れました。いま思えば、念じてくれていたと気づきます。

横浜教会から主任さんが訪ねて来られ「もっといい奥さん、いいママになるから、私に奥さんを預からせて」と主人に言って、すぐに自宅で教師補の研修が始まりました。長女が生まれると、自分の娘や孫のように可愛がってくれて、気がつくと頻繁に教会へ足を運びました。3人の娘に恵まれましたが、転勤を繰り返し、子供たちは地域になかなかなじめず、母子共々涙の日々でした。その度にお役を頂き、おかげさま乗り越えることができました。福岡で子育てに悩んでいた頃、婦人部法座で「人の顔色ばかり気にしない。後先を考えたって無駄なだけ。もっと楽にしなさい」と言われました。言葉がストレートで最初は怖くて泣けましたが、すべてを見すかされているという安心感で、自ら法座へ行くようになりました。心が疲れたときは、この言葉を思い出します。私を見守ってくれている人がいるという気持ちになり、楽になります。

主人の父が脳梗塞で倒れた事をきっかけに神戸に引越し、主人の単身赴任が始まりました。介護の学校に通い、学校と週末は主人の実家という生活でした。義父を看取り、この説法を通して(振り返ることで)、認めたくなかった自分も大切な自分の一部と受け止める事ができました。

支部長さんを始め、皆さんに沢山話を聞いて頂き「自分を責めてきたんだね。いまのままでいいんだよ。ずっと頑張ってきたんだから、自分を好きにならないと」と言ってもらい、肩の荷が下りました。小さい頃から不安で、人の顔色を見る心癖をもつ私は、自分を出せる人だったと気づきました。沢山の出会いのお陰さまで、親子共々心が強くなりました。いつも幸せを念じてくれている両親に感謝の心でいっぱいです。