2016.10 60代 女性 「執着の心が薄まって」

溺愛して育てた娘が結婚しましたが、一歳半の息子を連れて東京から帰ってきました。心労でやせ細った娘の姿を見た瞬間、婿に対して憎しみの心が涌き「死んでしまえばいい」という言葉が頭から離れず、心は鬼でした。涙と共に「別れなさい」と言っていました。

普段教えを頂いている「まず人さま」や「命の尊さ」という言葉が苦痛でたまりません。少しでも恨む心がなくなるように、朝6時の三部経読誦、陀羅尼を上げるようご指導頂き実行しました。心は変らずつらかった私に支部長さんは「子どもを思う、やさしい鬼さんですね」と温かく包み込んでくれました。

創立記念団参に行き、大聖堂で6時のご供養中「死んでしまえばいいなんて思ってごめんなさい」と涙が止まりませんでした。食堂のお役で千人分のお皿を休む間もなく、必死で洗っている間に、不思議なほど心が変ってきて「彼に幸せになってもらいたい」と思えるようになりました。

式典の説法は、離婚して娘さんと別れ、胸の張り裂ける思いで、娘さんの幸せを願って功徳を積んで来られた体験でした。帰りのバスの中では、両親が離婚をされて、大人になっても父親に逢いたいと思っていらっしゃる発表がありました。私の娘は、子供も手もとで育てられ、不幸と思っていた事が有難くなりました。私の決断ではなく、娘の決めたことを応援しようと思うものの、食べ物が少ししか食べられなくなり、寝込みました。「ゆっくり休んでね」と温かい言葉をかけて頂き、見守ってもらい、人の温かさとはこういうものなのかとしみじみ胸に沁みました。

親子で婦人部の勉強に参加しました。今の苦しい気持ちを誰にも話すことが出来ずにいた娘が、婦人部さんに本音が言え「ほっとして心が楽になった」と言ってくれました。
彼に対する恨みが徐々に薄れてきた頃「もう一度やり直したい」と彼が娘に会いに来ました。「僕のお父さんだぞ」と威張る孫の姿に、主人も「負けた!」としみじみと寂しさを感じていましたが、娘は帰っていきました。

教会長さんに「命の尊さをいつも教えて頂いているのに、自分の都合で相手をに憎んでいました。主任というお役を頂いていてもよいのでしょうか」とお尋ねしました。教会長さんはニコニコされて「仏さまは、悪い心を取ってくださいますよ。娘さんのことは仏さまにお任せして、地区の方を自分の子供と思う気持ちでお願いしますね」と教えて頂きました。絆を益々深めていきたいと思います。