2015.05 30代 男性  「父のように」
信仰三代目、気がつけば佼成会があり、当たり前過ぎて大切なことを忘れていました。

私は、涅槃会本部参拝へ行き、「生きながらに生まれ変わる」ことが出来ませんでした。教会行事優先のように感じる青年幹部の考え方が気に入らない心のままでした。支部の青年部員さんは、ぎりぎりまで会社の人に頼み込んでいてくれたのですが、前日の夜8時に本部参拝へ行けないと返事をもらいました。彼の頑張りが嬉しかったのと同時に、恥ずかしくなりました。自分が最後まで彼のことを信じきれず、面子を気にしていたことや「相手の心に寄り添っていなかった」と気がつきました。寄り添える人になろうと決心したことで、生まれ変わったつもりでいました。しかし、光さまのご供養では居眠り、会長先生のご法話も心に落とせず、感動も感謝も無かったのに有頂天で帰ってきたのです。

説法を書くことになり内省をした時、青年幹部さんとの関係が改善されない理由が見えてきました。「出来るかどうか」と論理的に考えられる皆さんに対し、私は「やるかやらないかだ」という精神論しか言えず、子供のような自分を直視したくない気持ちで、敵を作って誤魔化して逃げていました。自分とは違う考え方をうらやましく思い、すねていたのです。違う考えを受け入れられず「自分の方が部員さんのことを考えている」と自己満足に陥り、しかし、青年部の前では素直になれず「自分は嫌われているから仕方ない」と自分を納得させることで、悩むことから逃げていたのです。

生前の父は、子供たちを宝ものと思い、人を活かす生き方を背中で示してくれました。いつも自分の心を周りに受け止めてもらって生きてきたので、心を受け止めて貰えない事に寂しい気持ちで、腹を立てていたのです。「他の人には受け止めてもらえない」と決め付けていたことに気がつくとイライラが消えました。不思議です。父は「出てきた現象をどう行動するかが大切だ」と言っていました。立ち止まったままではいられません。
男子部庶務のお役を頂いたことに心から感謝し、父や小学生の時に僕の目を見て、心を引き出し聞いてくれた渉外部長さんの様に、人を受け入れられる人間になりたいです。

「一乗のほほえみ」から「悪い個性をすっかり仏さまにあげてしまいなさい。それが一番の布施になる」という言葉で、余命宣告から仏さまに使われることを誓った父の生き様を思い出しました。先祖供養を大切にしているのに、父の証明役もできていません。父が最後に教えてくれた穏やかで、迷いがない人生をおくりたいです。