2012.08 40代 女性 「喜びで見ていく」
小学校6年生の時に学校の尿検査で結果が悪く、すぐに入院と言われ方位を見てもらい、次の日に方位の良い病院に入院となりました。8ケ月の入院生活、その間、母は毎日仕事の帰りに寄ってくれました。

私が自ら教会に行くようになったのは23歳で結婚し、同居していたお姑さんと上手くいかなくなったことと実家の母が亡くなったからでした。母は体調を崩し一週間で亡くなってしまいました。結婚して毎日のように電話を掛け母の声を聞いていました。お姑さんにああ言われた、こう言われたと話をすると、「母ちゃんが何にも教えて上げていないからやな、ごめんな」と電話の向こうで何時も謝っていました。後悔ばかりが残ります。私はますます心を閉ざし、お姑さんとはほとんど話をせず家にいても子供と二人部屋にこもるようになりました。行くところも無かったので教会に行きました。母の事を知っている皆さんと会えるのが嬉しくて少しずつ足を運ぶ様になり、そのうち教義勉強に誘って頂き主人と1歳の息子を連れて研修を受けるようになりました。

お姑さんとの事で毎日、けんかばかりで一緒に住むことが限界になり別居しました。親子3人での生活はとても楽しく4年たちましたが新婚のようでした、でも楽しい時間は長く続きませんでした。主人から他に好きな人が出来たから分かれて欲しいと言われました。お姑さんさえいなければ上手くいくと思いましたが、夫婦の間が少しずつすれ違っていました。お姑さんと上手くいかないのは主人のせい、私が幸せになれないのは主人のせいとすべて主人の責任だと責めていたことに気付きました。

私のわがままやいたらなさを反省し、お互いの思いを話し合って一から夫婦としてやり直すことになりました。そんな中で私は主任のお役を頂き、主人は支部壮年部長のお役を頂き、そのお陰さまで、人の心配をしたりお世話の出来る私にならせて頂きました。13年間別居していたお姑さんとも再び同居を始めました。婦人部長のお役を頂き同じ世代の婦人部さんとのご縁を頂き、夫婦の事、子育ての事、嫁しゅうとの事、家庭で出て来る問題を共有しながら学ばさせて頂きました。

支部長のお役を頂き2年、二人の主任さんが休んでいます。支部壮年部長さんも休まれることになり、どうしてこうなるのか、私の何処が間違っているのか教えて頂くと、まだまだ仏さまにお任せ出来ず、ただ出て来た現象に困り、あれこれと自分でどうしょうと方法ばかりを探している私の姿を教えて頂きました。家でいつもの通り夕食を済ませました。「一緒に片付けましょうか」とお姑さんに声を掛けました。お姑さんは「自分でするから構わない、あんたはまだまだすることがあって忙しいやろうから」と返って来ました。

今回、私を思ってくれている言葉を聞き、初めてお姑さんの気持ちを知ることが出来ました。教会長さんは仏さまに、主人に、お姑さんに素直に甘えられるようになると、周りに有り難い現象が頂けますよと言って頂きました。目の前に出て来たことを自分のものさしで見るのではなく「喜びで見ていく」ことを教えて頂きました。