2010.09 40代 女性 「友人の死」
友人の彼女は、肝臓に三つの腫瘍とその上に乗った大きな肉腫が見つかり、どんどん痩せるのにお腹は臨月のようになっていきました。なぜもっと早く気づいてあげられなかったのかと後悔しながらも、快復を願いつつお見舞いに足を運びました。

5年前出会った頃の彼女は、色々な悩みを抱え、自分を責め心を病んでいました。総戒名をお祀り込みし、ご供養、奉献のお役のおかげさまと病院の治療の甲斐もあり、心が安定してきました。ご主人の単身赴任、一人息子と二人で暮らす環境がよく似ていた私に打ち解けてくれ、我が家での家庭教育や、支部婦人部法座によく参加してくれました。彼女にとって教育や法座は心を落ち着かせ、元気の出る拠り所でした。

その彼女が昨年ガンを患ったお母さんを見送られ、今年は息子の受験、そして合格と肩の荷を降ろしたとたん腫瘍が見つかり、手術されたのですが、多量の出血で帰らぬ人になりました。私は「何で、どうして」の気持でいっぱいになりました。

支部教務員の大法座があり、その日は53歳で亡くなった従兄の告別式の日でした。教会長さんより「生死一如です。物事の見方を○×、善悪、好き嫌いと二で見るのではなく、生も死も一つ、別々にあるものではない。」と教えてくださり、「従兄の思いになって、残された奥さんに寄り添える私になろう」と誓ったことを思い出しました。そして、支部長さんは、「例え5歳で亡くなっても90歳で亡くなっても、どちらも自分の頂いた命を精一杯生きて、天寿を全うしているんです。」と教えて下さいました。

5月の佼成新聞の会長法話に「すべてがあなたにちょうどいい・・・」と続き、最後に「死ぬ日もあなたにちょうどいい。」と結ばれていたのを目にし、48年間彼女は本当に一生懸命生きたんだと納得でき、心が救われました。

一度も弱音を吐くことなく、いつも前向きだった彼女に倣い、この経験を生かしたいと、従兄のお嫁さんを訪ねました。4時間近く話を聞かせてもらい、今まで以上に共感し、寄り添う心でいる自分に気が付きました。彼女が、「命の尊さや無常、一日を感謝で過ごす大切さ」を教えてくれたからです。悲しい出来事でしたが、私が仏になる為の仏さまからのプレゼントと受け止めています。